時間のゴミ捨て場

暇な大学生の隙自語ブログです。将来きっと黒歴史になります。

キュビズム的思考回路

どうも、ご無沙汰ごぶりんです。最近はそれなりに人間社会に溶け込んでいたので、自身の内面と向き合う機会もなく、日々のうのうと生きておりました。私がブログを更新するときの燃料となるのが、現実逃避からの自己否定です。なので、ブログが更新されていない時は精神安定期なのですなあ。

【自己犠牲について】

利他主義なるものを、学校で習いました。他者のために、時に自己を犠牲にしてまで助けるという非常に尊いものですね。他者からの評価を必要とせず、ただ愚直に正しいと思う事をする。愚かであり、真っ直ぐであり、眩いものだと。けれども、そう有りたいとは思えないのが私の賢い利己的思考なのです。自己犠牲の精神は、非常に人間らしいものだと思います。しかし同時に、とても異質なものにも感じます。無償の自己犠牲。果たしてそこに自己は存在しているのか。人間らしさを求めれば求めるほど、人間という存在から離れていくのではないだろうか。そんなことを、お昼のラーメンをすすりながら考えてました。

【侵食】

自分のコミュニティを広げる時のイメージは、「腐食」だったり「侵食」だったりします。自分という溶液を、じわりじわりと相手の領域に侵食させていく。私が他人を「友人」と認識する瞬間は、相手の中に自分が認知できた時だと思います。けれど、他人からの干渉を私は好みません。ある一定の領域は絶対不可侵領域なのです。なんともまあ、自分勝手な存在なのでしょう。だから友達いねーんだよ。もしかしたら、相手は友人と思ってくれているのに自分がそう思ってない可能性が微レ存…?うわっはあ世の中から一切の痕跡なく消えたい。

【恋慕】

恋い慕う、そんな体験がしとうございます。前述の通り、拙者は友一人作ることすら困難なのであります。果たしてそんな拙者が異性(もしくは同性)と恋仲になることなどございましょうか。否、否でありまする。嗚呼、何処かに拙者を勝手に愛してくれる異性(同性)はおらぬものですかなあ。

【創作の循環】

まずは自己満足から始まります。最初はそれで良いのですが、段々と他者からの評価が欲しくなります。そして、他者の目につくような場所で自己を表現し始めます(今ここ)。他者からの評価を得て、諸々の欲求が満たされていきます。しかし、ふと心の中に満たされないものがあることに気づきます。それは自己です。最初は満足していた自己が、いまや最も満足しないものとなっているのです。ここまで来た時初めて、表現者として大成するのです。

【おわおわり】

何を書いてるんですか上の人は(困惑)。意味のわからない事をよくもまあこれだけ書き連ねたものです。久々の更新すぎて、何時にもましておかしい記事になりました。本日はここまでとさせていただきます。もし、ここまで見てくださった方は本当にありがとうございました。それでは、また機会があれば。